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仙台高等裁判所 昭和49年(う)2号 判決 1974年7月08日

被告人 野崎末治

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役二年に処する。

原審における未決勾留日数中、一〇〇日を右の刑に算入する。

押収してあるイタリー製二二口径回転弾倉式拳銃一挺(当庁昭和四九年押第四三号の二)、同拳銃用実包四発(同押号の一)、四五口径自動装填式拳銃一挺(同押号の六)、同拳銃用実包二四発(同押号の七、同押号の九の二)、刃渡り二九・二センチメートルの刀一振(同押号の八)、刃渡り六三センチメートルの日本刀一振(同押号の一六)、刃渡り五三センチメートルの日本刀一振(同押号の一七)、刃渡り三六・五センチメートルの日本刀一振(同押号の一八)、刃渡り四三・五センチメートルの日本刀一振(同押号の一九)および刃渡り三三・五センチメートルの日本刀一振(同押号の二〇)をいずれも没収する。

本件公訴事実中、被告人が昭和四八年六月一八日午前五時二〇分ころ八戸市大字中居林字平二九番地の四所在の被告人方において猟銃を発砲して菊池功に傷害を負わせたとの点については、被告人は無罪。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人祝部啓一名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は仙台高等検察庁検察官検事宮沢源造名義の検察官答弁要旨と題する書面記載のとおりであるから、ここにこれを引用する。

控訴趣意第一点

所論は要するに、被告人が原判示第三の猟銃発砲に及ぶ際には、ただ、襲撃してきた増間らを退去させるため、同人らを威嚇せんとして、したがつて殊更増間らの身体を避ける配慮を尽していたところであるから、偶々発射された弾丸が附近にいた菊池功に当り、傷害の結果を生じても、それは過失傷害罪に問擬されるべきである。しかるに原判決がこれを傷害罪にあたると判断したことは事実を誤認したものであり、その結果告訴なきに拘らず、公訴棄却をしなかつた点に、法令適用の誤りをも犯したものである。仮に右所論が理由なく、本件発砲が菊池に対する傷害行為にあたるとしても、発砲の際には、増間らによる急迫の侵害はあつたところで、しかも当時の状況に照らし、威嚇のための発砲が防衛行為として必要、相当のものと認められるべきところであるから、正当防衛か、少くとも過剰防衛は成立する。また急迫の侵害につき誤信があつたとしても、誤想防衛の成立を認めるべきである。しかるに原判決が全く右各防衛の成立を認めなかつたことは、事実を誤認し、法令の解釈適用を誤つたものというべきであるから、破棄されるべきである、というにある。

よつて判断するに原判決挙示の関係各証拠を総合すると、被告人が猟銃を発砲するに至つた経緯状況につき次の事実が認められる。

すなわち、被告人は暴力団寄居連合会檜山一家の親分檜山武志の配下であつたが、昭和四五年頃から一家名乗りを許されて野崎組を組織し、次第に勢力を伸ばすにしたがい、所謂稼業上の問題から武志をはじめ、同人の跡目実子分である増間誉や武志の配下の松原由雄らと反目するようになり、昭和四八年六月一四日被告人において保釈出所した後、増間らが被告人を探し廻つていて、そこに不穏な動きのあることを察知し、そのため自宅にもなるべく戻らないようにする一方、八戸市内の松原由雄の事務所にいる増間に対し、同人が被告人を探しているその理由を電話で質したりしたところ、同人はただ高圧的に「皆ここにいるから直ぐ来い、お前が来なければこつちから行くぞ」などと来訪を強要する一方的な返答ばかりで埓があかなかつた。かくして被告人は早晩、増間らから襲われるのではないかと危惧し、護身のため同月一六日朝、十和田市大字相坂字高見七〇に住む実兄の野崎春治方に赴き、同人が留守であつた機に乗じて原判示第三に記載の猟銃(水平二連銃)一挺と弾帯一本を持出し、その帰途増間らが被告人において猟銃を所持していることを知れば、襲うこともなかろうと考えて、自動車を運転して右松原の事務所前に至り、同事務所から顔を出した増間の弟分の二、三人に対し、右猟銃を所持していることを誇示したのち、直ちに同所を立ち去つて、同日は焼山温泉に内妻の漆館ちやおよび子供や子分の対馬友樹らを連れて宿泊し、翌日八戸市大字中居林字平二九番地の四に所在する自宅に戻つた。この間、飯島一家の高屋兵伍が増間に電話し、被告人と仲直りするように申し入れてくれたが、解決に至らなかつた。

増間(当時三五年)は被告人に対し、かねてより同人の行動や稼業上のことにつき種々叱責や要求をせんものとして、幾度もちやを通じ、或は直接被告人との間で電話によつて増間の許へ来るように申し入れても、被告人がこれにしたがわなかつたため、いよいよ憤激し、被告人が右叱責要求等をおとなしく聞きいれればよし、聞きいれないときは、痛めつけてでも、屈服させんものとの考えを強め、同月一七日頃までには松原由雄、柏吉郎、幅下勝夫、菊池功(当時二八年)、大川隆夫らの檜山一家の構成員にも右考えを打明けて同人らとその意思を共通にし、同月一八日早朝右増間ら六名は二台の自動車に分乗して、同日午前五時二〇分頃前記被告人方に至つた。

増間らは被告人方の外門近くの路上に各車を停め、そのエンジンはかけたままにしておいて、菊池を除く全員が下車し、増間および松原は被告人の玄関先に立ち、呼鈴を使わず玄関の扉を叩いて「開けろ開けろ」と叫び、幅下において木刀を携帯し、一同は右外門や玄関先のあたりに群つた。

ところで外門と玄関の扉とは約二・八五メートル離れ、外門には戸扉がなく、同門前の道路から玄関先に至るにはなんの障碍もなかつた。また、被告人方住家の四囲は同門の部分を除き、高さ約一・二八メートルのブロツク塀やトタン塀、或は隣家の建物などで囲まれていた。

被告人の内妻ちや(当時二五年)は、就寝中のところ右物音にいち早く気付いて起き出し、玄関隣の応接間の出窓から覗いて、菊池が自動車内に、その余の者らは玄関の前あたりにいて、幅下が木刀を携帯していることを知り、そこに異様な雰囲気を感じ取つたが、折柄被告人も起き出し、前記猟銃を手にして右出窓に至り、外の様子を窺つて直ちに殴り込みに来たものと感じ、次で玄関の方に近寄つた。

増間、松原らは次第に高声で「開けろ、開けなければ話にならない」などと怒鳴り、玄関の扉をゆさぶり、叩くなどし、また何名かは勝手口の方などに廻つたりして、被告人にも住家を取り囲む様子が感ぜられ、被告人は玄関の扉を開けず「帰つてくれ、話合いなら何処にでも行くから帰つてくれ、喫茶店でも話せるではないか」などと繰り返し頼んだが、増間、松原らは被告人の頼みをいつこうに聞きいれず、「殺されるのがこわいのか」「開けなかつたらぶちこわしても入るんだぞ」などと怒鳴りながら、益々力をこめて右扉を強くゆさぶつたり、蹴つたり或は取手を乱暴に廻したりしたため、アルミ製の同扉の錠はいまにも壊れんばかりであつた。かくして被告人は右扉を挾んで増間、松原らに対し、必死になつて話は昼間するから退去してくれるよう懇願を続け、互に「開けろ」「帰つてくれ」を云い合つて五分位経過するうち、被告人の当時六才と二才になる幼児二名は恐がつて泣き叫び、同宿していた対馬友樹(当時二七年)はなすすべも知らず、ただ屋内に佇立し、ちやも恐怖に駆られるばかりであつたところ、同女が「裏の方にも廻つた」と叫ぶ声をきいた被告人は、ここにおいて猟銃を所持していることを増間らに知らしめれば、同人らはひるんで退去してくれるものと考え、折柄、中庭内に入り込んだことに気付いていた二名位の者に見えるように、わざと中庭に面した廊下の中央に、猟銃のほか、弾帯を所持して、あぐらをかいて坐つた。

ところで中庭は住家の奥まつたところにあり、その周囲はブロツク塀や隣家の建物に囲まれていて、玄関前から同所に至るには、住家裏の台所と塀との間の約〇・四七メートルの狭いところをくぐり抜けるなど、かなり狭隘なところを廻り道してこなければならないところであつたが、当時柏と大川は右の狭隘なところを通り抜けて中庭にまで入り込んでいた。また玄関扉の構造は、ガラスのほか、アルミサツシユ、アルミ板等よりなる軽量のもので、外側への両開き扉であり、内側からみて左側の扉は、巾が約〇・四メートル、中央に新聞受け口のついた仕切りがあつて、その上下の大部分は模様入りの不透明なガラスが嵌めこまれてあり、同扉は通常開閉されず固定されているものであつたが、右側の扉は巾が約〇・九メートルあり、アルミ板が全面を覆い、ただその一部に僅かに短冊状に縦に細長く、右と同じ模様ガラスが嵌めこまれてあり、また取手が取り付けられてあつて、日常出入口として使用されていた。当時、この取手に仕込まれてあつた錠が内側からかけられてあつた。そして同扉のさらに右側に接して上半分の部分には巾およそ〇・四メートル位の明りとりの窓があつて、右と同じ模様ガラスが嵌めこまれてあり、下半分は鉄平石などが築かれてあつた。

ところが、被告人が右廊下に坐するや間もなく、中庭にひそんでいた柏らは、清涼飲料水の空ビン三本を中庭に面した廊下のガラス戸めがけて次々と投げつけ、そのため被告人の身近のガラス二枚(巾はおよそ〇・九メートル位)が割られるや、被告人はにわかに増間らの攻撃が予期した以上に執拗且つ果断なことに驚愕し(原審証人漆館ちやは、そのとき被告人の顔面がにわかに蒼白になつた旨証言している。)、このままでは同人らに住家内に押し入られることとなり、そうなつては自己、家族および対馬らの生命もしくは身体にいかなる危害をうけるかもしれないと、恐怖、狼狽はその極に達し、直ちに弾帯から弾丸二発を抜き取つてこれを猟銃に装填したところ、ちやは抗争がいよいよ激化し、被告人が増間らの身体に対して発砲するものと考え、その結果重大なる事態に至ることをおそれて、我を忘れて「撃つては駄目よ」と泣き叫んでいたが、被告人としては他に手だても思いつかず、折柄玄関の左側の扉の上下のガラスに人影がなく、右側の明りとり窓のガラスの方に人影がうつつていたので、この機に直ちに威嚇のために発砲して、同人らを畏怖させ、その住家内への侵入を防ぎ、且つその邸宅外への退去をなさしめんと考え、左側扉の下のガラスめがけて発砲した。そのとき、増間は右側扉の方に、松原は左側扉よりさらに左方にいて、発射された散弾粒は左側の扉の下のガラスを破り、松原の至近のところを通り抜けて(同人の顎をかすめた)、外門を経て道路へ飛び散つたが、その一部が折柄自動車を降り附近路上にきていた菊池功の胸腹部等に当り、同人に対し約一か月間の安静加療を要する原判示の傷害を負わせた。しかし右発砲の際被告人は左側の扉の不透明なガラスには路上の人影までは映らず、屋内から右ガラス越しには路上の安全までを確認できないことは熟知していたところであつた(なお、右発砲後、にわかに増間らは「菊池が怪我をした」と騒ぎ出し、増間においてはいよいよ激昂して「こつちからも撃つぞ」と怒鳴り、さらに木刀を所持する者が割れた玄関のガラスで、まだ枠にのこつていたところを、同刀で払つて人がくぐり抜けられるほどの穴としたが、他方意外の結果になつてもはや抵抗する意欲を失つた被告人は、玄関の扉の錠を開き、中に入つて来た松原に猟銃を手渡し、次で同人らによつて十和田市の増間方まで連行され、顔面を殴打されたりしたが、被告人において賠償金支払を約することで結着をみて、さしたる暴行をうけずに済んだ。)。

以上の事実が認められる。

所論は被告人が菊池に傷害を負わせた所為は、過失傷害であるというが、被告人は本件発砲の際に、増間および松原の至近の場所に向つて発射された散弾粒或はそれによつて飛び散るガラスの破片等が、玄関先を動き廻つている両名の身体の一部に接触し、その結果受傷するやもしれないことは容認していたものと認めざるを得ない。原判決挙示の関係証拠からは、松原の顎を散弾粒がかすめ、そのため僅かながら出血のあつた事実も窺われるのである。したがつて右発砲によつて附近にいた菊池に被弾せしめたことは、方法ないし客体に錯誤があつたとしても故意ある右暴行(松原の身辺に対する発射行為)に基づく結果の受傷として傷害罪の構成要件に該当することは否定できない。したがつて論旨は理由がないものというべきである。

しかし増間らの行為は、被告人に対する所謂殴り込みの行為と目されるところであつて、たとえ増間との従前の経緯を含めて本件事案を全体的に考察しても、被告人が挑発した所謂喧嘩闘争とは認め難く、右殴り込みが本件発砲当時、被告人の身体に対する「差迫つた侵害」の程度に達していたことは明らかである。また増間らが外門より入つて被告人方玄関先にたち、錠のかかつたアルミ製の扉を壊さんばかりに執拗に激しくゆさぶるなどし、或は中庭にまで入り込んで、同庭に面する廊下の戸の大きなガラスを破壊したりした所為は、全体として盗犯等防止法一条一項二号の「鎖鑰ヲ開キテ人ノ住居ニ侵入スル」および同項三号の「故ナク人ノ住居又ハ人ノ看守スル邸宅ニ侵入シタル」のいずれにも該当するものというべきである(本件において、前者の「住居」には、被告人方住家が相当する。なお、被告人が本件発砲前に幅下において木刀を携帯していた点につき認識があつたことを認めるに足りる適確な証拠がないから、同条一項二号の「兇器ヲ携帯シテ」の要件に直ちに該当するものとはなし難い。)。ただ、被告人が増間らにおいて鎖鑰を開いて住家に侵入するを防止せんとし、或は玄関先や中庭に侵入している者らを退去せしめようとして発砲に及んだときには、右の差迫つた侵害、すなわち現在の危険の性質、程度につき、それが自己のみならず、自己の家族および同宿の対馬らの生命もしくは身体に対するものと過大に誤信し、これらの法益を防衛するために右侵害(危険)を排除せんものと決意したことが認められるのであるが、被告人のその際の心的情況は、まさに恐怖、狼狽のうちにあつたと認められることは前記認定のとおりであつて、被告人が侵害の性質、程度を誤信し、且つ誤信したところにしたがつて威嚇のため(前記のとおり、多少の傷害の結果は容認してはいたが)発砲したことには、増間、松原との従前の経緯、増間ら暴力団員一味による本件侵害行為の状況、被告人および家庭らの恐怖、狼狽の程度等に照らせば、宥恕すべき事情があるものと認められる。

したがつて本件発砲は、まさに盗犯等防止法一条二項の適用ないし準用をみる場合にあたるというべきである。所論および原審弁護人は特に右条項を摘示しての防衛を主張せず、単なる正当防衛、過剰防衛、誤想防衛を主張し、原判決は原審弁護人の右主張をいずれも認めなかつた。しかしながら原審弁護人が諸種の各防衛を主張するところは、結局、被告人の本件発砲が防衛行為として刑の減免或は犯罪の不成立の場合にあたることを云わんとすることが明らかであつて、原判決のごとくその主張する法律構成にのみ厳密に捉われることは相当とは云い難い。原判決挙示の関係各証拠からは、まさに本件発砲につき、防衛行為としての特別の免責を定めた盗犯等防止法一条一一、二項が検討されるべきところであるから、原判決が右弁護人の主張の趣旨に思いを至さず、右法条の適用ないし準用をも容認しなかつたことは、結局事実を誤認し、ひいては右法条の解釈適用を誤つたものというほかはない。論旨は結局理由があり、原判決はこの点において破棄を免れない。

次に職権をもつて原判決の法令の適用を調査するに、原判決はその判示の各拳銃、刀の所持につき、その各入手の時期を異にするものがあるものの、同判示第一(四)(3)の刀と他の拳銃または刀とが一括所持の関係にあつたとして、これらを包括して一罪として処理している(原判決三枚目表二行目および五枚目裏七行目に「刃渡り二八・五センチメートル」とあるのは、「刃渡り二九・二センチメートル」の誤記と認める。)。そして右各所持についての本件公訴の提起は、記録によれば原判示第一(一)(1)の拳銃一挺の所持、同第一(二)(1)の拳銃一挺の所持、同第一(三)(1)の日本刀五振の所持、同第一(四)(1)の拳銃一挺と(3)の刀一振の所持の四個に分けてなされていることが明らかである。もとより物の所持の個数は、公訴提起の態様にかかわるものでなく、本来、所持すなわち物を保管する実力支配関係を設定するについての所持者の認識、および同関係を維持し、構成するその客観的な容態等に照らし、当該所持を規制する法規の立法趣旨、さらには一個の所持とみることにより既判力の及ぶ範囲に関する考察等、広く社会生活上有する個別性的意義にかんがみてこれを決めるべきところである。

そこで、右観点に立ち、原審記録および原審取調の各証拠ならびに当審事実取調の結果に照らして、右各所持の関係について検討するに、被告人において

(イ)  刃渡り二九・二センチメートルの刀一振(当庁昭和四九年押第四三号の八、脇差)は昭和四二年一〇月初頃入手したが、鞘も壊われ、前記自宅内の子供の玩具箱内に放置しておいたまま、長期にわたつてこれを忘れてしまい、昭和四八年四月一一日覚せい剤取締法違反容疑で自宅において逮捕され、同日逮捕に引続いて同容疑の捜索令状に基づき自宅の捜索をうけた際に、右刀が発見され、直ちに任意提出されたこと、公訴事実は右逮捕の時点において自宅内に右刀を所持していた事実をいうもので、原判決は同判示第一(四)(3)において、右公訴事実どおり認定していること

(ロ)  また、刃渡六三センチメートルの日本刀一振(同押号の一六、軍刀)は、昭和四二年一〇月初頃入手し、自宅内に所持していたが、さらに日本刀四振(同押号の一七ないし二〇)を昭和四六年一二月末頃入手して、以後右五振をあわせて茶色のビニール袋(同押号の二一)の中に入れて自宅内の応接間床の間の畳下に隠匿所持していたところ、昭和四七年四月六日後記(ハ)の拳銃の試射が官憲に発覚したことから、子分の対馬友樹に隠匿するよう命じてこれらを預け、同人は以後アパートの自室の押入奥や引越先、或は同人が運転使用したちや所有名義の自動車(青三三さ二七一号)内等に転々と移して隠匿していたが、昭和四八年二月二〇日同自動車の捜索をうけた際に発見され、同日任意提出されたものであり、公訴事実は同日ころの時点に八戸市大字中居林字平二二番地の一四藤田幸雄方附近路上に駐車中の右自動車内において、対馬と共謀して所持していた事実をいうもので、原判決は同判示第一(三)(1)において右公訴事実どおり認定していることが認められる。

してみると、右(イ)の刀一振の所持と、(ロ)の対馬が保管するに至つた後の日本刀五振の所持とは、その所持の危険性についての被告人の認識においても、また客観的な所持の容態においても著しく異り、結局、公訴事実にいう右(イ)(ロ)の各所持は別個の所持とみるのが相当である。

(ハ)  また、イタリー製二二口径回転弾倉式拳銃一挺(同押号の二)および同拳銃用実包四発(同押号の一)は、昭和四七年三月初頃入手し(その際の入手した実包数は約五〇発)、これを携帯するなどして所持していたが、昭和四七年四月六日午前五時四〇分頃青森県三戸郡倉石村大字石沢字風原平一四番地の一高村定毅方牛放牧場内松林において、七発射撃を試み、三発を発射し、四発(同押号の一)をその場に遺留し、同日頃知人に右拳銃の隠匿方を依頼して預けたが、昭和四七年五月二日同知人方を令状に基づき捜索されて、押収されたものであり、公訴事実は右試射の時点において、右拳銃と右実包七発を所持していた事実をいうもので、原判決は同判示第一(一)において、右公訴事実どおり認定していること、また前記(ロ)の対馬が日本刀を隠匿所持するに至つた時期は右試射の後、間もない頃であつたことが認められる。

してみると、公訴事実にいう(ロ)の対馬との共謀における日本刀五振の所持と(ハ)の拳銃(および実包)の所持、また(イ)の刀一振の所持と右(ハ)の所持とは夫々被告人の危険性の認識およびその所持の客観的な容態等が著しく異り、各々別個の所持(但、拳銃と実包の所持はあわせて一個の所持)とみるのが相当である。

(ニ)  また、ドイツ製二二口径回転式拳銃一挺および同拳銃用実包八発は、昭和四七年八月末頃静岡県熱海市清水町二番五号田辺友喜代方において入手し、これを携帯するなどして所持していたものであるが、同年一二月初頃同じ的屋稼業の親分水戸光雄から、「お前が拳銃を持つていると危険だから俺に預けろ」といわれて、被告人の所持する拳銃全部の預託方を求められたが、被告人において口実を構えて後記(ホ)の拳銃を残し、右ドイツ製拳銃のみを半ば強制的に同人に預託を余儀なくされたところ、昭和四八年一〇月三〇日に光雄の妻から任意提出されたものであり、公訴事実は右熱海市における入手の時点に右拳銃および右実包八発を所持していた事実をいうもので、原判決は同判示第一(二)において右公訴事実どおり認定していること。

(ホ)  四五口径自動装填式拳銃一挺(同押号の六)および同拳銃用実包二四発は、昭和四七年九月七、八日頃知人を通じて右(二)の田辺方で購入し、青森市内のホテルで右知人から手渡されたものであり、その所持において(二)のドイツ製拳銃の所持と時期が重なることはあつたが、同拳銃が水戸光雄に預託された後、遅くとも昭和四八年二月二〇日頃までにおいて、発見されることをおそれ、右実包二四発のうち一七発(同押号の九の二)は桐の箱に入れて(ロ)のちや所有名義の自動車内に遺留しておき、右四五口径の拳銃は分解してその部分品を自宅内の各所に分散して隠匿していた(弾倉内には実包七発((同押号の七))が装填されたままであつた。)。しかるところ右自動車について(ロ)の捜索をうけた際、右実包一七発が発見されて、即日任意提出され、その後(イ)の家宅捜索をうけた際、右拳銃の全部品とあわせて右実包七発が発見されて、即日任意提出されたものであり、公訴事実は、右実包一七発については、(ロ)の日本刀五振の所持と同日頃同場所において所持していた事実(但、対馬との共謀でなく、被告人の単独所持として)、また右拳銃と右実包七発については、(イ)の刀一振と同日時(逮捕時)頃同場所において所持していた事実をいうもので、原判決は同判示第一(三)(2)および(四)(1)(2)において右各公訴事実どおり認定していることが認められる。

してみると、公訴事実にいう右(ホ)の拳銃の所持はその容態において、前記(二)の拳銃が水戸光雄に取り上げられる以前、両拳銃を共に所持していた時期のそれと較べて、かなり異るものであり、両拳銃所持に対して別個の所持となすのが相当である。また右各拳銃の所持と(イ)の刀の所持との関係においては、(ハ)後段の理由と同様の理由により、夫々別個の所持とみるべきである。また(ホ)のうちの拳銃と実包七発の所持、および実包一七発の所持については、右(ホ)において認定したとおり、被告人においてこれらを分散して隠匿を図つた際、後者の所持が、対馬においてもしばしば使用する(ロ)の自動車内に遺留されるという形態のものとなる一方、前者の拳銃や実包は自宅内に解体して分散隠匿するという形態となり、そこには別個の所持に分れたものとみるのを相当とする容態の変更があつたものと解せられる。

したがつて、原判決の同判示第一(一)ないし(四)の各事実認定は相当であるが、刀、拳銃の不法所持の罪数の関係において、原判決が、同判示第一(一)(1)の拳銃一挺、同第一(二)(1)の拳銃一挺、同第一(三)(1)の日本刀五振、同第一(四)(1)の拳銃一挺、同第一(四)(3)の刀一振の各所持を夫々別個の五個の所持罪として処理すべきであるにも拘らず、これを包括して一罪として処理したことまた、同第一(三)(2)の実包と(四)(2)の実包の各所持を別個のものとして処理しなかつたことは、法令適用の誤りを犯したものであり、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、原判決はこの点においても破棄を免れない(なお、原判示第一(一)(2)、同第一(二)(2)、同第二(四)(2)の各実包所持の関係においては、原判決が夫々の使用されるべき拳銃の所持と刑法五四条一項前段の観念的競合の関係にあると説示している点は、是認されるべきである。)。

以上の次第で原判決は同判示第一および第三について破棄を免れないところ、原判示第一ないし第四の各事実に対して、一個の刑を科しているから、結局その全部を破棄すべきである。したがつて、弁護人の量刑不当の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法三九七条一項、三八〇条、三八二条により原判決を全部破棄したうえ同法四〇〇条但書に則り、さらに次のとおり判決する。

原判決が適法に認定した同判示第一(一)ないし(四)、第二、第四の各事実を法律に照らすと、同判示第一の所為のうち、(一)(1)、(二)(1)、(四)(1)の各拳銃所持の点はいずれも銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二、一号、三条一項に、(三)(1)、(四)(3)の各刀所持の点はいずれも同法三一条の三、一号、三条一項(但、(三)(1)については日本刀五振の包括一罪であり、さらにまた刑法六〇条を適用)は、(一)(2)、(二)(2)、(三)(2)、(四)(2)の各拳銃用実包所持の点はいずれも火薬類取締法五九条二号、二一条に、同判示第二の所為は昭和四八年法律一一四号覚せい剤取締法の一部を改正する法律附則七号により、改正前の覚せい剤取締法四一条一項四号、一七条三項は、同判示第四の所為のうち猟銃所持の点は銃砲刀剣類所持等取締法三一条の二、一号、三条一項に、右猟銃用実包所持の点は火薬類取締法五九条二号、二一条に夫々該当するが、各拳銃の所持と当該拳銃用の実包の所持(但、(三)(2)の実包所持を除く、同所持は独立の犯罪)、猟銃の所持と猟銃用実包の所持とは夫々一個の行為で二個の罪名に触れる場合であるから、刑法五四条一項前段、一〇条により一罪として夫々重い拳銃および猟銃所持の罪の刑で処断することとし、以上の各罪につき所定刑中いずれも懲役刑を選択し、同判示第一(一)(1)の拳銃所持の罪は同判示累犯前科(1)(2)との関係で三犯であるから刑法五九条、五六条一項、五七条により、その余の各罪は同前科(2)との関係で再犯であるからいずれも同法五六条一項、五七条により夫々累犯加重をなし、以上は同法四五条前段の併合罪であるから、同法四七条本文、一〇条により刑および犯情の最も重い同判示第一(四)(1)の拳銃所持の罪の刑に法定の加重をした刑期範囲内で処断すべきところ、その情状をみるに、記録および当審事実取調の結果に徴すると、被告人は暴力団寄居連合会檜山一家の系列に属し、野崎組を組織している者であるが、窃盗、猥褻図画所持、賭博等の犯行を重ねたほか、一五才未満の児童或は未成年の女子などをバーのホステスなどに紹介して利を図る所為に及び、児童福祉法、職業安定法、労働基準法等の違反(原判示累犯前科(1)(2))にも問われ、以上の各種犯罪の前科は六犯を数え、本件各犯行はすべて再犯或は三犯の関係にあたること、そして原判示第一(一)の拳銃等の不法所持につき起訴され、保釈後いまだその公判中にも拘らず、同第一(二)(1)および(四)(1)の各拳銃等を入手し、前者の拳銃については、海岸で、或は早朝の国道上を走る自動車の中から道路標識を標的代りにしたりして各三〇発位(ライフル用実包を使用)の試射をしており、さらには自己使用のため同第二の覚せい剤譲受の犯行にも及び、以上の各犯行(但、同第一(二)(1)(2)の拳銃等の所持を除く。)および同第一(三)(1)、(四)(3)の各刀の不法所持等につき、順次起訴され、その後再び保釈となつた後も、同第四の猟銃の不法所持をなすに至つたものであつて(同第一(二)(1)(2)の拳銃等の所持についての起訴は、同第四の事実の起訴後である。)、右各刀や拳銃等の所持がその暴力団の分野において自らの勢力の強化拡大に資せんとするためであつたことは到底否定し難いところであること等が認められる。以上の各事実および既に認定の諸事実に照らすと、被告人が法秩序、ひいては社会の平穏を無視し、一般市民に危険を及ぼすおそれの著しい性向にある者というほかはなく、本件刑責は厳しく問われて然るべきであり、他方、被告人の職業、健康状態、その家庭の状況等所論指摘の諸般の情状を勘案のうえ、被告人を所定刑期の範囲内で懲役二年に処し、刑法二一条を適用して原審における未決勾留日数中一〇〇日を右の刑に算入し、押収してあるイタリー製二二口径回転弾倉式銃一挺(当庁昭和四九年押第四三号の二)は同判示第一(一)(1)の、同拳銃用実包四発(同押号の一)は同判示第一(一)(2)の、四五口径自動装填式拳銃一挺(同押号の六)は同判示第一(四)(1)の、同拳銃用実包一七発(同号の九の二)は同判示第一(三)(2)の、七発(同号の七)は同判示第一(四)(2)の、刃渡り二九・二センチメートルの刀一振(同押号の八)は同判示第一(四)(3)の、主文第四項掲記のその余の日本刀五振(同押号の一六ないし二〇)は同判示第一(三)(1)の各犯罪の組成物件であり、かつ被告人以外の者に属しないから同法一九条一項一号、二項を各適用していずれもこれを没収することとする。

なお、原判示第三に関する公訴事実は、「被告人は昭和四八年六月一八日午前五時二〇分ころ八戸市大字中居林字平二九の四番地所在被告人方において、菊池功(当二八年)外五名が、早朝面会を求めて押しかけ、内庭のガラス戸を破る等の暴行を加えたことに憤激し、矢庭に所携の猟銃(水平二連銃)を玄関外に佇立していた右菊池に向けて、玄関のガラス戸越しに発射し、よつて同人に対し、向後約一か月間の安静入院加療を要する胸腹部、右大腿、左下腿並左手盲管銃創(弾丸残留)、胆嚢穿孔による胆汁性腹膜炎等の傷害を負わせた。」というのであるが、既に判断したとおり、被告人の右所為は盗犯等防止法一条二項にあたり、責任が阻却され罪とならないから、刑事訴訟法三三六条により無罪の言い渡をなすべきである。

よつて、主文のとおり判決する。

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